“「色んな子供がSNSで問題犯しまくってる。これはもう子供全員SNS禁止するしかない」っていうのは「悪い人間が沢山いる。つまり人間は危険だから滅ぼすしかない」っていうRPGのラスボスと同じ考え方なので「ラスボス理論」と呼ぶことにしました。”

俺がきいた最高のping活用の逸話は、USENIXカンファレンスできいたもので、不定期に不調になるEthernetを抱えていたネットワーク管理者が、pingプログラムを音声合成プログラムにつないで、つまりは以下のように書いて、

ping goodhost | sed -e ‘s/.*/ping/’ | vocoder

音声合成プログラムの出力を事務所のステレオにつないで、音量を最大にした。コンピューターが1秒おきに”Ping, Ping, Ping…”と怒鳴り続けている間に、管理者は音が止まるまで建物内のEthernetコネクターをいじくりまわしていた。そして故障箇所を特定したのだ。

“明日発売のiPhone6に銀座で400人が並んでいるそうである。「こいつらアホか」と呆れると後輩から「今並んでるす」とメールがあった。「貴様iPhone好きなのか?」と聞くと「銀座にテント張って寝られるのってこんな時だけすから。並ぶだけで買わないすけど」なかなかに文学的な男である”

自分が反省も謝罪もできない理由はあと3つあります。

「犯人には、多数の関係者に迷惑をかけたことや開催変更などに伴う膨大な労力をさかれたことなどをよく認識して貰い、反省して貰いたいと思います」

「犯人には、自分が犯した罪が引き起こした事態をよく認識して、償ってもらいたいと思います」

「犯人にどれだけ悪いことをしたか分からせて欲しいと思いますし、犯人自身にもしっかり反省して欲しいと思います」

これらは供述調書から引用した被害企業の方々の供述です。自分は悪いことと分かってやっていますし、迷惑をかけようと思ってやっています。自分は確信犯です。ですから「関係者がいかに迷惑したかを認識しろ」などと責められても、その迷惑は自分にとっては成果です。その迷惑が大きければ大きいほど「自分がやったことは無駄にならなかった」と思えて悪い気はしません。むしろ「別に大したことなかったわ」とでも言われる方がよっぽど自分はつらいです。

被害企業の方々は普通の人たちですから、自分が存在を賭すような感覚で事件を起こしたことを理解してもらうことは絶対に不可能です。特にマンガというコンテンツに絡む事件の性質もあって「オタクによるエスカレートしたいたずら」としか理解してもらえません。ですから被害企業の方々には軽い気持ちでいたずらをしてパトカーや消防車も駆けつける大騒動を起こしてしまった子供に対する説教と同じ理論で自分を批判するのです。

被害企業の方々と自分とでは事件についての認識に差があり過ぎます。自分は被害企業の方々に通じる言葉で謝罪することは不可能です。同時に被害企業の方々も自分に通じる言葉で自分を糾弾することは不可能です。これが自分が反省も謝罪もできないもう3つの理由の内の1つです。

自分はこんな事件を起こしつつも「本当に運が悪かった」とも思っています。これは「自分の脳内のスイッチを入れるスーパーマンみたいな人間が実在しちゃったよ。運が悪かったなぁ」という意味です。「スイッチが入っちまった。運が悪かった。ああ運が悪かった。運が悪かった」というのも自分の率直な心象風景です。「運が悪かった」と思っている人間が反省も謝罪もできるはずがありません。これも自分が反省も謝罪もできない理由の1つです。

さらにもう1つの理由を挙げれば、自分は自分を小虫と認識しているからです。「黒子のバスケ」の作者氏からすれば、自分は身体にまとわりつくうざい小虫くらいの存在だったと思います。その小虫から「うざい思いをさせて申し訳なかった」と謝られて果たして「黒子のバスケ」の作者氏は嬉しいでしょうか?小虫には殺虫剤を吹きかけて死骸を始末して終わりです。このように残酷なまでに力関係に差がありますから、自分には反省も謝罪も意味がないと思えるのです。

以上が自分が反省も謝罪もできない理由です。

“112 名前: エネモ(高知県)[sage] 投稿日:2008/06/13(金) 16:40:32.15 ID:MoOkrPLz0
冥王星「……惑星・・・止めるんだ」
一同  「…」
地球  「…じゃあ、あれだ、何て呼べばいいのかな?」
水星  「…そりゃおまえ、あれだよ、矮惑星とかでいいんじゃね」
海王星「とかでとか言うなよ!もっと真剣に考えてやれよ!」
木星  「そうだよ。確かに前から小さすぎるとは思ってたけどさ・・」
地球  「あまり近寄ったことないからあれだけど、多分俺のペットの月より小さいな」
水星  「だよなー!ぶっちゃけ俺んところからは見えないしw」
金星  「お前が言うな。おめーも月と大して変わんねーだろ」
水星  「あ?何やんの?言っとくけど太陽さんには俺のほうが近けーからな」
天王星「お前らいい加減にしろよ。今は冥王星の肩書きを考えてるんだろ」
火星  「ごめんなー、こいつらばかり盛り上がっちゃって」
冥王星「ああ・・・うん」
火星  「俺の近所に、セレスってのがいるんだけど、そいつと一緒に準惑星ってのはどうかな」
木星  「ああ、セレスは知ってるけど、さすがにあれと一緒にするのはかわいそうだろ」
土星  「そんな小さいの?」
木星  「冥王星の半分以下」
天王星「そりゃ可哀想だ。だったら冥王星の向こうにエリスってのがいるから、それと一緒の方がいい」
地球  「お前そういうのよく知ってるよねー。で、大きさはどうなの?」
冥王星「多分・・俺よりでかいよ」
一同  「・・・!」
土星  「ばっ・・!お前それが何だってんだよ。冥王星は冥王星だよ」
金星  「そうそう。だからエリスを冥王星型天体って呼べばいいんだよ」
海王星「それいいな、そうすれば冥王星が基準になるわけだ」
火星  「賛成」
地球  「賛成」
木星  「賛成」
冥王星「はは…ありがとう。でも、もういいよ・・・ほんと」”

菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時 平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも 実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。

発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠むに長け、あっちに美女がいればあっちへ出向き、こっちに美女がいればこっちに出向 き、歌を贈ってはねんごろになるという堕落者である。親父のコネで出仕したのは良いけれど、どう考えてもあそびをせんとや生まれけむな男である。

一方、道真は毎日漢文を読みあさり、勉強しまくり、家族を顧みず、という生活。それでも和歌に心を動かされることもあるが、ひらがなで書かれたもの をいちいち漢字で書きなおすという硬骨ぶりを発揮する。真の漢は漢字を使い、ひらがななどでは文章をなさないのだ、という確固たる信念あり。

さて、官僚はときどき配置換えをすることで、見識をむりやり広めたり妙な縄張りを作れないようにしたりすることは、平安時代でも行われていたわけで、菅原道真も四国の長官に赴任することになる。

そこで驚いた。住民はみんなぼろを着て、字(道真にとっては漢字のこと)も読めずもちろん書けず、どこかへふらふらいなくなってしまう。

律令制度は土地を国家が持ち人頭税を徴収することを基礎としているから、食えなければ逃げるしかないからだ。

これはいかん、と菅原道真は考える。

農業を育成するには、土地に人を縛る必要があり、土地に縛られていれば逆に落ち着いて文化を甘受することもできる。つまり、律令制度には致命的な欠 陥がある。つまり、人頭税だ。(戸籍制度が適当だから逃げられる時代はその致命的欠陥は国家にとっての問題ではあるが、戸籍制度ががっちり組まれるとその 致命的欠陥は国民のものとなるのだろうな、と恐怖を覚えたりもするのであるが、それは余談と予断)

こういうときこそ、中国に聴け、と菅原道真は考える。拝外主義者である(ひらがなを絶対使わないわけだし)

かくして都へ戻って遣唐使を出そうといろいろ進めていくと、中国の情報が入ってくる。黄巣の乱というのがまきおこっていて中国の政治状況がおかしくなっているらしい。

うむ、律令制度の本家もだめなのか。

愕然とする道真。

しかし、学があるということは良いことだ。

自ら新たな政治の枠組みをついに考えだす。

それが、地代だ。すでに荘園の萌芽があるが(班田収受の法から時代もたっているわけだし)、それを利用し、土地に税金をかければ良いのではないか。

さっそく建白書を作り新たな税制を作り、人頭税を廃止し……

そこに貴族が猛然と抗議をするのは当然であるが、そうは言っても国家存亡の危機にまで実は国家財政が傾いているので、そのあたりはなあなあにできそうではある。

しかし、道真改革に対して、猛然と反旗を翻したのは他ならぬ部下の官僚たちであった。なんと、学問の王様の道真ともあろうお方が、われらが模範たる先進国、中国由来の律令制度を否定するとは、四国でおかしな食い物でも食ったのであろうか?

かくして日本で最初の公務員によるゼネストが敢行されてしまい政務がストップしてしまう。

予算審議の最中に政治の空白が生まれる状況の始まりである。

官僚がそっぽを向いてしまうとどうにもならないので、それまで女遊びが過ぎるとして軽く見られていた藤原時平(道真の右大臣と並んで左大臣になって いはいるが遊んでばかりいるので誰からも相手にされていなかった)にみんなの注目が集まる。国家存亡の危機なのはさすがに殿上人にもわかっている。下級役 人にもわかっている。

さて時平も困った。

が、女心を自在に操るまでに至ったこの男、状況把握のセンスがある。

とりあえず、まとめると

・人頭税をやめて土地に税をかけるべき(学問の神様の結論なのだから正しいと考えるべきだ)

・先進国中国由来の律令制度を変えるということは、官僚たちの知的基盤、あるいはアイデンティティの破壊となるので、それは不可能だ(というか実際に政務が滞っている)

つまりジレンマですな。

しかし、と、時平は考える。これがジレンマになるのは、後者の代表が前者を持ちだすことの不整合に由来しているのではなかろうか?

そこでまずは道真に退場を願うことにして、うまいこと九州へ追い出した。ストを打っていた官僚たちも、土地に税をかけられることに戦いていた貴族たちも大喜び。

再び、しかし今度は時平を中心に政務が回り始める。

しかし、と、時平は頭を悩ます。へたすると結局道真と同じわだちを踏むことになるからだ。いずれにしても、道真改革は実行しなければならないわけ で。いくら自分が大貴族の御曹司といったって、部下の官僚がストを打ったら手も足もでないのは、あの誰もが尊敬する道真が手も足も出なくなったことから明 らかだ。

そこで、しょうがないので打開策を探るために勉強をしていてふと気付く。この漢字の塊のような文書群が、官僚たちを中国万歳、先進国の成果を後進国 は受け入れていればよいのだ、という安易な考え方のもとになっているのではないか? っていうか自分の国のことは自分の頭で考えろよ常考。

そういえば、故郷のお寺の教えに、やまとことばはことだまでどうしたといかいうのがあったが、じっさいのところ、われわれがはなすことばとかくことば、これのかいりがかんりょうたちに、みょうなこていかんねんをうえつけていると、かていしよう。

そんな仮定ができるのは、この男が恋歌ばかりを作っていて、試験勉強のために漢文を詰め込まなかったからだろう。つまるところ、時平は他の官僚や大臣と異なり、漢字にも中国にもこれっぽちも未練はないし自身のアイデンティティもないのだ。

まずは、この国はこの国、やまとのくにだということを世に示すことから始めよう。そうすれば自ずと道は開けるに違いない。

そこで、天皇に歌はいいですよいいですよと吹き込み(おそらく財政問題のこともあり、醍醐天皇と時平は共同戦線を張っていたのは間違いないだろうと 思う。道真追放にも醍醐天皇が積極的にかかわっていたようでもあるし)、歌集の作成の許可を取り付ける。次に、下級役人の中でも特にばかにされまくってい る平仮名遣いを集めてきた。紀貫之たちだ。

まあ、というわけで、おれはひらがなで歌われる歌の良さを広く世に問うことにした。おまえらがんばれ。

なんと、自分たちの文学に初めてお墨付きを得られるとは! 紀貫之たちは感動してさっそく歌探しの旅に出る。足かけ3年かけて地方の旧家に残る文書やら木簡やらから歌をいっぱい集めてきた。

しかし、困りましたぞ、と貫之たち。

何が? と時平。

出てくる歌はみな、恋の歌ばかり。これではかっこがつきません。

うーん、と時平。恋の歌は良いものだが、確かにそれでは、説得力がないなぁ。やまとのくにはこいのくに、というわけにはいかんだろうし。

おおそうじゃ、と時平は面々を見て気づく。おまえらが作ればいいじゃん。

なんと、われらが作った歌をわれらが選んで載せて良いのですか?

だって、おまえらしかいないじゃん。

大感激した紀貫之たちは、歌詠みの本領発揮しまくる。ひらがなだからこそ可能な掛け言葉やらおのまとぺやらを駆使して、季節の歌やら風景の歌やらを作りまくる。

かくして、古今和歌集が完成した。

おお、これは読みやすい、と天皇も大感激。

さて、欽定の歌集とあれば、これこそ我が国の文化の道標、それまで漢文にあらずんば文にあらず、とひらがなをバカにしていた貴族も官僚もみな古今和 歌集を読み、ひらがなに親しむ。いやぁ、恋とは良いものですな、いやいや季節のうつろうさまもまた良いものですよ、という調子だ。

いや、わたしは漢文以外は文とは認めませぬというのは、官場においては新しき文化の風潮に乗れぬ愚か者ということとなった。

さらにこの文化風は吹きまくり、寝殿造りのような建築分野、十二単のようなファッション分野にまでおよび、国風文化とまで呼ばれるまでに至った。

さて、諸君、我が国の財政は危機に瀕しているのはみなさん先刻御承知の通りだ。律令制度はしょせん外国の制度に過ぎぬ。我が国には我が国の美しい文化があり、それにみあった制度があるべきではなかろうか?

うむ、そうかも知れませぬの。

かくして、時平は無事、律令制度からのランディングに成功したのであった。

そのころ、九州の地で道真は辞世の歌を七言律詩で書いていた。

私は話すはずがないと思われていたし、学ぶこともないと思われていました。でも学ぶことから、考えること、そして創造することへと切り替えることができたから、私は今ここにいることができるのです。私はニューヨークで400人から800人もの人を前に話をしているのです。

私がみなさんに今日のスピーチから得てほしいものは何でしょう? これからの24時間、もちろん学校や何かがあるとは思いますが、そして土曜日ではありますが、私はみなさんに、これからの24時間、何も学ばないでほしいのです。今から24時間、何も学んではいけません!

その代わり、みなさんにしてほしいことがあります。みなさん、何かに情熱を持っていますよね。私はここで11分間話しているだけですから、それが何かはもちろん知りません。でもみなさん、何かしらに情熱を持っていて、ご自身ではそれが何かを知っています。ですから、その分野を学ぶ代わりに、その分野のことを考えてほしいのです。その分野の生徒になる代わりにその分野に”なって”ほしいのです!

それが音楽であろうと、建築、科学、その他のものであろうと、その分野のことを考えてほしいのです。もしかしたら何か新しいものを創造できるかもしれません。どうもありがとうございました。ジェイコブ・バーネットでした。